琉球古武術研究所 《 現在の研究課題 ――― 伝統・伝承形の理合と実践試合 》 代表 庵原・忍体術 師範 武集館 雲斎
二丁鎌 鉄甲 鉄柱=寸鉄 琉球の尚真王(在位1476年〜1526年)の実施した「武器禁止令」と薩摩藩が慶長14年(1909年)に実施した「禁武政策」の二度にわたって実施された「禁武政策」によって空手が発展した。と長年云われていたものが、最近の研究でその説に疑問を唱える者が多い。 「素手で鉄砲や刀などの武器に対抗するという発想そのものがナンセンスで非現実的である」と指摘する声もある。 当時の空手家は、空手以外にも同時に剣術、槍術、棒術、弓術、釵術も併せて稽古していたという。また刀剣類以外のヌンチャクやトンファーなどの非刀剣類の武器術も士族の隠し武器(暗器)として盛んであったという。 庶民的な道具を起源としているが、庶民がこれらの武器術を稽古していたのではなく、士族が中心だったという。 現在伝承されている琉球古武術(沖縄古武道)は、大きく分けて三系統ある。 それぞれの、主なる伝承術は以下の表のようになる。
各武器術の名称を、内地の言葉に置き換えれば、大体が以下のようになる。
各武器は、農具の変形または、生活必需品の中から工夫されたと思われるものが多く、刀剣を除き、刃のある武器は鎌だけである。 起源には諸説あり、どれが真実なのか分からないが。その内のいくつかを紹介します。
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