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琉球古武術研究所

《 現在の研究課題 ――― 伝統・伝承形の理合と実践試合 》

代表  庵原・忍体術  師範  武集館 雲斎



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釵・トンファーの異種試合


 お互いに異なる武器を持って試合をする「異種試合」というものがある。
剣道と薙刀の試合が代表的である。
この場合、剣道の者は薙刀の者より上級・上位の者が選ばれる。
試合結果としての勝ち負けは、殆ど五分五分である。
剣道も素晴らしいが、薙刀も素晴らしい。

 天野景充という武道家がいる。空手道七段、銃剣道八段、短剣道、剣道、居合道、
抜刀術、薙刀、等いずれも五段以上。武道合計取得段位数は45段以上。
試合は全国大会にも出場する。

 その天野先生が[薙刀]・[木刀]を持って、
私は[トンファー]・[釵]を持って組手を行った。
拙い私は、あっという間に負けた!と悟った。私の技の弱点が露呈した。
少し大きめの[トンファー]・[釵]で再度行っても同じであった。

 沖縄古武道の短い武器との相手は、殆どが[棒]と想定されている。
即ち、[トンファー]・[釵]の対戦相手は、通常は[棒]ということである。

長年やっていて当たり前になっている動作は「形」を基本としたものである。
異武器との対戦は未経験とはいえ、実践において、相手の武器を選択することは
出来ない訳であるから、如何なる武器にも対応できなければならないはず。

遠心力を使った[薙刀](約2.2m)が脛を狙って打ち込んでくる。
棒術では、[棒]を三等分して持つので、攻撃部分は3尺程になる。[木刀]より短い。
[薙刀]は[棒]との長さが違いすぎて、相手の懐までが遠い。簡単に飛び込めない。
「演武形」にある「片足一本立払い受け」にて足を上げても、もう片方の足の脛に[薙刀]が当たる。(写真A)
[トンファー]を逆手持ちから本手持ちに変えて 下段払いをしても届かない。
[トンファー]の直ぐ下に[薙刀]の刃が入り込む。(写真B)
[釵]を本手持ちにして下段払いをすれば、[薙刀]の刃に当たりはするが、遠心力のかかった力と[釵]の片手持ち先端では、力の違いが有りすぎて[釵]が跳ね飛ばされる。(写真C)
[釵]を床・地面に突き刺す格好をしなければ受けることは難しい。(写真D)


薙刀 トンファー
大型釵 大型釵




両手持ちした[木刀]が打ち込んでくる。
[棒]は両手で持つが、打ち込む力は片手分に近い。それに比べて[木刀]はかなりの重量がのし掛かってくる。
[トンファー]で逆手持ちをすれば、しっかりと受け止めることができる。
[釵]では受け止めることはかなり困難である。
[釵]の「演武形」には、内受け・返し打ちが頻繁にあって、かなりその筋肉は鍛えられているはずだが、真剣に打ち込んでくる[木刀]には敵わない。
注: 内受け=社団法人日本空手協会(松涛館流)での呼称。
他の空手団体では外受けと呼称される。


 以前に読んだ本で、その時は「この著者は未経験者・知らない人・解っていない」 等と無視していたのだが、その本のことが急に思い出された。
その本は、『図説・武器術』小佐野淳著 (株)新紀元社 2007年発行
慌てて再度読んでみて、う〜む・・・!!!である。

『釵で敵に打ち込むとき、鈎の方向は左右に位置している。
これは歴史的に見ても、また力学的に見ても明らかに不合理であり、これでは打撃力がつかないために、打つときに棒身を親指で押さえている。
もしもこれが刀剣ならば、鎬で打っていることになる。
日本の十手も鈎を上、もしくは下に向けて構えるのが正しい』というようなことが書かれている。
さて、[釵]は、戦具なのか!・遊具なのか!・芸具なのか!・???


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防具試合での大失敗


 薙刀の防具を着けて薙刀の試合を行った。剣道と同じ防具に脛の防具が加えられる。
面の垂れは剣道用より若干短い。これが薙刀の防具である。
 私は、突きを出そうとして、いつもの琉球棒術の動作で、半身の姿勢から前足の前に後ろ足を交差して出す動作をしてしまった。
瞬間に、相手はこちらの薙刀を払った。
すると、哀れ! 払われた方向に私の身体は回転した。それも数回である。
相手も、周りの者も何が何だか分からなかっただろうが、私には大失敗であることが解っていた。
それも回転している最中である。
普通の武道で、半身の状態で前進するときに足を交差して出る、ということは余りない。
しかしながら、沖縄古武道の棒術の形ではこの動作が頻繁にある。
こんなことがありました。

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組手


 一般的に相手が刃物を持って攻撃体勢に入れば、どんな人でも怯む。それが切れない刺さらない物と解れば安堵する。排除しようと思う。
その凶器らしき物を奪い取ろうしたときに、合気道のように相手の手首を掴んでくるのではない。その武器と思わしき物、そのものズバリを掴んでくる。(写真3)
最近ではその掴んで来るのを待って、その掴んだ相手の手を逆手に捕るという「短棒術」なるものも現れている。合気道の応用である。

 釵は元々が隠し武器だから、相手に分からないように逆手持ち(写真1)に持っているのが基本だが、十手を構えるように順手持ち(写真2)でいれば、物打ちを握られる可能性がある。(写真3)
その時は、もう片方の釵で、その相手の掴んだ手を打つのが一番であるが、その前に、常に順手・逆手の切り替え動作が素早く出来る訓練が必要である。

写真1 写真2
写真3

 以上は、相手が武器を持っていない状態であるが、相手が武器を手にしているときは掴んでは来ない。当然その武器で攻撃をしてくる。
そういうときに自分が基本通りに逆手持ちでいたら不利になる。初めから順手持ちでいたほうが有利である。

 上段からの攻撃を順手持ちの釵の物打ちで受ける。写真4で受けても、写真5で受けても、相手の武器は自然に滑って写真6に辿り着く。そして釵を回転して写真7となって相手の武器は固定される。釵の翼(鍵部分)の重要な役割である。

写真4 写真5
写真6 写真7

注意として、写真8・写真9のように、親指が翼の内側に置いてはいけない。写真2のように親指は元の位置に置かなければならない。
写真8 写真9

写真4・5・6・7という順が形稽古・約束組手のシナリオになっているが、実際の試合・組手を行うと、こうは成らない。写真4の状態は、相手の圧力に負けて写真10のように釵が下がってしまう。

写真10

柄の握り方を変えて、写真11のように親指を元から人差し指側に持ってくれば、握りが強くなって、写真12・写真13のように受けやすくなる。
写真11
写真12 写真13

ここで、写真14のように持つと、写真15・写真16のように、相手の武器に当てられるという危険性がある。
写真14
写真15 写真16

『図説・武器術』小佐野淳著 株式会社新紀元社 2007年発行によれば、写真11の持ち方ではなくて写真14のように翼(鉤)を上下に向けて構えるのが正しいとある。
しかしながら、突きを行ったときに、相手が少し横にずれても刺すことができることと、
打ったときに物打ち部分が長く使えることや、正面からの攻撃を受け止めやすいことを考えると、写真11でよいのではなかろうかと思う次第である。

写真11 写真14

 試合で、相手の中段に順手の釵の突きを入れる(剣道の胴を着用)。防具だから人間の身体とは違うということは承知だが、これがもの凄く痛い。どこが痛いかというと、攻撃側の人差し指の根本である。攻撃側が痛いのだから全く情けない話である。
当てられた(刺された)胴を着けている相手は、痛みは殆ど感じない。逆の立場になってしまう。

基本通りに写真17の持ち方で突くと、写真18の人差し指の根本が痛い。親指でしっかり元を押さえていても、かなり痛い。これが写真19のように持てば、そう言うことは無い。
こういうことから、逆手突きが多いのか! とも思う次第であるが、逆手突きでも親指の根本が痛い。おまけに此処の近くには急所がある。
普段の約束組手・形演舞だけだと気が付かないが、実際に相手に当てる、ということを体験すると、持ち方・握り方ひとつでも研究が必要と実感する。
写真17 写真18
写真19

 遠い昔の先人達が、どのようにして戦ったのか!!!
以上のように体験してみて思うことは、隠し武器であるから、最初は隠すように逆手に持っていて、使うとき順手にして、その後はそのまましっかり握り、捕り方の十手のように使用していたのではなかろうか???
そのように、推測するが、如何なものだろうか。

 試合に於いて、相手が棒・木刀などであるときに、空手式、剣道式などで対応すると、非常に不利だということを実感するが、戦法を変えて合気道式にすると、非常に有利だということに気が付く。
さて、それはどういう事かというと・・・・・・それは次回に・・・・・・


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雑談


 空手の試合方式を決めるときに、「剣道の竹刀試合」を参考にして決めたという。 これにより、完全なるスポーツ化となって、発展していった。
 危険な術の使用を無くして安全面を重視すれば、誰もがやることが出来て、世間に広まり発展していく。「生涯スポーツ」といわれている現在では、「年齢別」の試合まであって高齢の方々も試合に参加している。
 しかしながら、このスポーツ化によって、「一撃必殺」「必殺技」「秘伝技」「口伝技」は消えていった。各流派で名称は異なっても、その技は似ているものがあった。【眼切り】【貫手止め】【三角飛び】【波返し】【膝落とし】などなど・・・・・・
 これらの危険な技を使えば、試合ではなくて決闘となる。

 最近、武術研究者・甲野善紀氏が、発見というのか発表したことに『剣術の刀の柄の持ち方は、左右の手を寄せて持つのが良い』とある。現代剣道の竹刀の持ち方のように左右の手を離して持たないということである。
 しかしながら、居合道を行えば、殆どが「現代の制定居合」と「古流」を同時に稽古する。その古流を習えば、竹刀の持ち方とは異なる本当の日本刀の持ち方を習得する。即ち誰でも知っていることであるのに、発見したというのであるからびっくりする。

 現代剣道の竹刀試合形式では、切るということではなくて、当てるという競技になっている。これもスポーツ化によって、日本刀を使って切るという意味合いが薄れてきている。
しかし剣道の足裁きは見事なもので、これが使える者は他の試合競技においても、非常に有利に使うことができる。スピード重視の最近の試合競技では特に有効である。
 今此処に昔の侍がタイムスリップして来て、今の試合を見たら何だと思うのだろうか。 まるでフェンシングを見るかのように見ることだろう。
 昔の剣道試合では、足払い・体当たり的な技もあったようだが、今は姿勢を協調するような内容に進化してきている。そこへ最近甲冑を着けて、刃引きの日本刀で戦う「撃剣大会」が行われている。構え方、攻撃方法が違っている。 しかし、これも甲冑を外して、真剣で戦うなら、また変わってくる。 試合のルールというものを変えれば、いくつでも競技が生まれてくる。

 江戸時代の後期に白井亮という剣客がいて、「剣客は星の数ほどいるが、四十歳を越えると皆一様に衰える。剣の道が若い内だけのものならば、こんなくだらん営みはないではないか」という疑念をもった。この時代にして40歳ということだが、現代においてプロのスポーツ選手が35歳を過ぎると引退をすることが多い。継続・持続は難しい。 スピードを重視する競技においては、特にこの傾向がある。
 顔立ちの話をするのは失礼だが、『恐い顔!』イコール『強そう!』というふうに思いがちである。しかし、それはイコールではない。 恐い顔の人が強いと決まっているのであれば、悪役スターはみんな高段者やチャンピョンとなる。現実、試合の優勝者インタビューなどを見ると、良い顔立ちをしている者が多い。 自信というものがそのようにさせるのかも知れない。


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雑談2


2013.3.26に、NHKの「BS歴史館」にて、歴史学者・磯田道史(茨城大学准教授)がこういう話をした。

幕末の頃の武士の話である。
「敵の武器は何だ?」――「鉄砲だ!」――「飛び道具とは卑怯だな」――
「こっちの武器は何だ?」――「刀だ!」――
「どっちが勇敢だ!刀に決まっている」――「刀で戦う方が勇敢に決まっている」――
「勇敢な者と臆病者が戦ったら、勇敢な者が勝つ」――

という頭の中の論理構造が、武士達にあったそうである。
その結果、その武士達は、戦をして、破れた。という話であった。


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